伝統の未来 The Future of Japanese Tradition トークショー 2016年9月28日(水) 針葉樹の可能性1 三谷龍二 (木工家) 川合優 (木工家) 前田大作 (木工家) 会場:松屋銀座8階イベントスクエア

木工家・三谷龍二さん監修の展覧会「針葉樹の可能性」(伝統の未来-The Future of Japanese Tradition)にまつわるトークショーを振り返ります。針葉樹は杉、ヒノキ、松など日本の森林の大部分を占める樹木であり、この国の建築に欠かすことのできない木材。ところが高度経済成長期の木材需要に合わせて、安い輸入木材が入るようになったことに伴い、日本の木の価格は下落し林業の衰退にも繋がっています。そんななか、広葉樹が中心の木工の世界にありながらあえて針葉樹を選び、日本人と木の関わりや工芸の伝統に学びながら私たちの暮らしに合う木工品を提案することで、工芸はもとより森林や林業の未来までも考えていこうとする3人の木工家によるトークの前編です。

三谷

川合さん、前田さん、おふたりが針葉樹を使うものづくりにいたった経緯を教えてください。

川合

一番はじめのきっかけは、友人のお店でディスプレイの棚板として使っていた杉の12mmの板を、そのお店が閉店するタイミングでたくさんもらったことでした。厚みがない板でしたので、特に深い考えもなくなんでもないただの箱を作りました。それが今でも作っている箱膳になったわけですが、当時は収納用の箱として作っていたと思います。それまでは楢(ナラ)やクリなどといった広葉樹ばかりを使っていましたので、そのとき初めて杉を使い、加工の難しさに驚くとともに、そのなんとも言えない優しさに惹きつけられました。そしてその魅力をたどっていったら、現在の林業の悲惨な状況を知ることとなり、自分のライフワークとして針葉樹で作ることに繋がっていきました。

杉 箱膳/川合優杉 箱膳/川合優前田

僕は唐松(カラマツ)を使っています。信州に住んでいるものですから、周りが森にあふれていて小さい頃から木は身近にあって、見慣れていた存在でした。カラマツを使うようになったきっかけは、いまでも強烈に覚えているんですが、地域のお祝いごとで地元のお年寄りが集まる場所に行ったときに「前田君、カラマツがこんなに生えているのにどうして使わないんだ」と言われたこと。その一言でした。その方たちが、昔植えた木が、いまちょうど育って使える状態になっている。いつか使うだろうと後の世代のために植えたものなんですよね。それを「なんで使わないんだ」と言われたときに、僕は言葉につまってしまって。「そういえば、なんでですかね」なんて、そのときは言っただけだったんですけれども、それがカラマツとの出会いであり、使い始めたきっかけですね。

三谷

人それぞれ、木に関わるきっかけってあると思うんですけれども、僕は、きっかけが桜でした。桜の木の無垢の肌合いがいいと思ったんです。僕は、無垢の木の器を植物オイルで仕上げているんですけれども、自然の木にできるだけ塗膜をつけないで使うということにすごく魅力を感じているんですね。さきほど、打ち合わせのために入ったお店なんかを見ても、厚い塗膜で覆う塗装がされているものがほとんどで、現在の暮らしでは無垢の木の良さというのは、ほとんど感じられないという気がします。そういうなかで、身の回りにどうにかして自然素材を置けないかなということで、僕は、無垢の木を使ったうつわというものを作り続けているんです。針葉樹も同じように塗装を厚くするという形で製品にしているものがどうしても多いですね。

昔はよくカラマツの家具があったんですけれども、カラマツは素材としてとても美しいのに、現代ではすごく厚いウレタン塗装をして、まるで木ではないような見え方にしてしまう。そうしてせっかくのカラマツの良さをなくしてしまっていることが多い気がするんですけれども、お二人は、作る過程で塗装のことはどう考えていますか?

前田

我々は、木という素材から、人々に使ってもらうものを作り提案しているわけですけれども、どれだけ素材の良さをいかせるかというのは、一番大事な部分なので、謝った使い方をしないようにしたいとは思うんです。ただ、木の表面に触って気持ちがいいという方は当然いらっしゃると思いますが、汚れがつきにくいということも求められたりする。一方で、汚れや乾燥を防ぐために塗膜という塗料の膜を塗ってしまうとカラマツの木材本来の良さを伝えられない。それは、非常に良くないと思っています。素材の良さを生かしながら、ものとしての機能をどうもたせるかについて、僕は、いまだに試行錯誤していますね。その点、川合さんは、無塗装のものをやられていて「無塗装であることで木の魅力は生きるんだ」ということを強くおっしゃってますよね。

川合

僕は宮城県の南三陸に友人がいるんですが、その友人の実家は、東日本大震災のときに起きた津波で全部流されてしまったんですね。その現場を見に行ったのですが、津波が通ったあとの瓦礫のゴミの山に、まずびっくりしました。世のなかには、土に還らない、どうしようもない、埋め立てて処理するしかないものがこんなにあるんだと改めて気づかされました。これは、ものを作ることとは矛盾しているようなことなんですけれども、それ以来、作るにしても「きちんとなくなるものを作る」「消化できるものを作る」ということが、僕のものづくりのテーマになりました。昭和初期まで日本では、おもに、土や紙、木を使ってものを作っていました。津波が来てすべてが一度なくなったとしても、ゼロからまた街を作っていたと思うんです。だけどいまは、ゼロからということにならない。その循環からはずれていることが、すごく怖いなと思うんです。

三谷

どの分野でもそうなんですけれども、日本の工芸の特質として、素材に対する鋭敏な感覚、繊細な感覚があると思うんですね。織物にしても、紙にしても、その鋭敏な感覚が日本の伝統や、ものの美しさを作っていると思うんです。その美しさというものに塗装をしてしまうと、伝わっていかないものになってしまう。けれども、いま、産業として生み出したものを流通のなかで動かしていこうとすると、どうしても塗膜をつけて、汚れないようにするという方向にしないといけない。そうしないと流通にのせられないというんですね。それも分からなくはないんですけれども、それとは違う方向性が生まれてくればいいなと思いますね。小さなギャラリーなんかでは、取り扱いの細かいアドバイスやメンテナンスの受付ができるんですけれども、量販店になるとそこのところが難しくなるという。近代以降の西洋化した価値観のなかでは、日本の敏感で繊細な感覚が、なかなか伝わっていかないというのを感じますね。川合さんは「SOMA」という名前での活動もしていて、作家としての作品だけでなく、流通の仕方まで考えた針葉樹の製品の開発もしているそうですね。針葉樹で無塗装だと、多少くるいがでたりすることもあるのでしょうか。

川合

木目の細かいもので柾取り(柾目を選ぶこと)をすれば、そんなにくるうことはないと思います。

三谷

三谷:針葉樹を扱うときには、やっぱり木取りが重要ですよね。

針葉樹の特性をいかすのは、人。

川合

針葉樹の一番の特徴に、まっすぐだということが挙げられます。一説によると杉の「すぎ」というのは、まっすぐの「すぐ」からきているんじゃないかという人もいるようです。昔、ノコギリが発達していなかった時代。鉄のノコギリは弥生時代に日本に入ってきたんですけれども、それ以前の鉄がなかった時代ですね。その時代には、どうやって木を加工していたかというと、石を木目にあてて割っていたんですよね。杉やヒノキは、割ることで、まっすぐで長さのある材料がとれる。これはすごい木だということでどんどん使われるようになり、その結果、日本では杉や檜(ヒノキ)が多くなったんです。まっすぐに育って、まっすぐに木目が通っているもの=針葉樹です。針葉樹で作るものは必然的にまっすぐなものになることが多いです。

三谷

木の特性を生かしながら使えば、無塗装でも使えるわけですよね。木の特性を生かしていくには、人間がちゃんと見てやっていかないといけないわけですが、量産や産業となるとどうしてもそれができないという、そういう感じがしますね。山に入って木を選び、この木ならこれが作れるのではないかとか、きちんと木を選んで、用途にあった使い方をし、それ以外の木は残していくという。選木をする眼がそこにあれば、日本の森の未来もだいぶ違ってくるのかなと思いますね。

唐松 六寸皿/前田大作唐松 六寸皿/前田大作前田

そうですね。地元の木を使うようになって、一番面白いのは、木を植えた人、木を切る人、山主の人などと関わることが多くなったことなんです。この木は家具に向いているとか、食器に向いているとか、合板に向いているとか、紙に向いているとか、発電する薪に向いているとか、いろいろと適した用途があるなかで、家具に向いているカラマツの木を選んでくれる人がいれば、僕にとっては作業がしやすいし、理にかなったものができてくると思うんですよね。昔は、木の目利きがいました。杣人(そまびと)というんですけれども、そういう人が、家具に、薪にと向いているものに木を振り分けた上で、流通していたと思うんです。残念ながら、いまはそういう流れが小さくなっていますが、木の流通が復活していくと、我々としてもいい木にめぐりあえて、素材の部分からも後押しされた、いいものづくりに繋がっていくと思います。

三谷

完成品の図面的なデザインというだけでなくて、間にいろいろな人の眼が必要ということですよね。

日本の山や森の現状

川合

杉やヒノキのことを勉強しはじめると、いまの山の現状や林業はどうなっているのかというところに行き着くんですけれども、森林組合の人と話していると、山を買う契約の段階ですでに「ここからここまでは、全部チップにします」というようなことが決まっていることがあるそうなんです。どんなにいい木があったとしても全部チップにして燃料にするという契約。それって、すごくもったいないことですよね。考える時間も手間もいらないので、金額としてはそれが一番いいんでしょうけど、そこにちょっとの手間をかけることで、全然違う結果が生まれるはずです。それができていないというのがもったいないというか、悲しいというか。

三谷

さきほど前田さんが言っていましたが、カラマツの需要は増えているんですよね。カラマツはすごく安くて大根1本と同じ値段だと言われた時代があって、山に放置されて荒れていた時代もあるんですけれども、植えてから50〜60年経ったものがいま成長してきて、合板での需要も増えているから、むしろ高騰もしているようなんです。それはある程度歓迎すべきことですが、その一方で、需要があるのに合板に回されてしまうということがありますよね。

唐松の森唐松の森前田

つい3〜4年前までは、カラマツを買う人は少なく珍しかったので、僕がカラマツが欲しいというと、材木屋さんでも「その辺りにあるのを持って行っていいよ」という感じだったんですけれども、最近は状況が変わって、材木屋さんにいってもカラマツ自体が少なくなっていますね。いいカラマツ材というふうに限定すると本当に少なくなってしまっているのは、そういうところに持って行かれているからなんですよね。基本的にはいいことなんですけれども、さきほどのお話にあったように、いい木を選んでくれる人がいて、これは家具に適したもの、こちらはチップにするものというように選別をしてくれれば、加工されるものも増え、人々の眼に触れるものも増えていくと思います。現状では、家具や木工品よりも、想像以上に建築材料に持って行かれることは多いですね。

三谷

合板は大根のかつら剥きのように、薄く木を剥いていきますので、高い丸太を買っても採算がとれるんですね。だからいい木が用いられる。いずれにしても、材木を見る眼力が低下しているというのがあって、それは、針葉樹の可能性を潰すことにも繋がっていると思います。見る眼がないから、柾目(材木の中心付近を製材し木目がほぼ平行に並んだもの)や板目(材木の中心からずらして製材し山形や波形の木目となったもの)の違いも関係なく作ってしまって、それで針葉樹の魅力を壊してしまっているという気がします。全国で針葉樹の利用拡大ということで、ものを作っているのですが、木の良さを理解している、という風には見えなくて、ただ作っているという印象です。そういうやり方ではかえって人々を木から遠ざけてしまうと思うんですよね。針葉樹の魅力は、柾目が一番きれいだと思います。もちろん板目でも杉板などは、杉戸など、使い方によってすごくいいと思いますけれども。適材適所でその木に向いているものを見極めて使うということが大事ですね。

川合

そもそも木目というのは、木が植物として年間を通して成長するなかで生まれるものです。木は、春夏はぐっと成長するけれども、冬場は体内に蓄えた水が凍って避けてしまうので、それを防ぐために、お彼岸過ぎくらいから水を吸うのを辞めて体内の水分量を減らしにかかるんですね。そうすると新陳代謝がよくなるので、密度が濃くなって線となって現れるんです。それがいわゆる年輪です。だから日本の木は一年に一度年輪が生まれる。年輪の線のあるところは全部冬です。年輪の幅が大きいということは一年の成長率が大きかったということなので、日光をたくさん浴びて、栄養をたくさんつけてすくすく成長してきた木だというのが分かりますし、年輪の幅が一ミリ以下のものは、一年にそれしか育っていない。その分、それを繰り返して淡々と育ってきたとか、同じ杉でも個体によって違うんですよね。そういうことを知っていたら、必然的に作るものも変わってくるはずなんです。樹齢何百年の木でゴミ箱を作ったりはしないですし、樹齢50年の木ならお茶室の天井を貼ろうと考えたり。そういうことが木の使い方の面白いところですよね。

値段でいうと、海外の木材には到底かなわないです。例えば、ドイツは低地なので、日本の何倍も大型の機械をいれて木を伐採し、製材して輸出できます。日本は山が急なので大型の機械が入れませんから、一本一本、チェーンソーで伐採していく。当然、値段が高くなってしまいますが「この木はこういう育ち方をしたから、こういう使い方をするんです」というふうに僕たちが説明できるかどうかで、使う人がお金を山に還元したいと思うかが決まってくると思うんですよね。僕は、そういうことをしていきたいと思っています。

前田

僕の場合は量産を考えるほど作っていないので、なかなか考えがまとまらないですけれども、木の使い方という意味では、ものづくりするときに、どの場面で使われて、どの程度、ものの機能を高めなくてはいけないのか。塗装のこともそうですけれども。悩ましいところではあると思いますね。ただ、世のなかに出回っている家具のなかで、塗装をすることによって木の魅力が失われているものが多いことは確かだと思います。針葉樹や木工品の未来のことを考えると、素材の魅力を下げてしまうようなやり方というのは、したくないですから、自分にも改めて問いかけたいですし、お客さんにもこういうものがあるんですよという提案をしていきたいと思いますね。

→針葉樹の可能性2(後編)に続く

川合優 プロフィール
1979 岐阜の農家の家に生まれる
2001 京都精華大学建築専攻卒業
2003 飛騨にて木工修行
2007 京都にて作家として制作を始める
2012 岐阜にて制作
前田大作 プロフィール
1975鎌倉市生まれ
1998千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、松本市にて父、前田純一の下で家業の木工に就く
2007注文制作を主に、アトリエm4を立ち上げ職人とともに地元針葉樹材を使う木工にも取り組む
2009銀座和光並木ホールにて「時代をつなぐ仲間たち」展に参加
2011銀座和光ホールにて親子展
三谷龍二 プロフィール
1952福井市生まれ
1981松本市に工房PERSONA STUDIOを設立
1985「クラフトフェアまつもと」「工芸の五月」(松本市)発足より運営に参加
2011松本市内にギャラリー10cmを開店。
店の建つ通りで「六九クラフトストリート」を企画するなど、「工芸と暮らしを結ぶ」活動を続ける。

(展覧会図録より)

針葉樹の可能性  三谷龍二
 高温多湿な日本は、今も国土の3分の2が森林である木の国です。私たちは長い間木の家に住み、和紙、薪炭、衣服、食べものなど、さまざま山の恵みに支えられながら、暮らしを営んできました。
 樹木は針葉樹と広葉樹を分けることができます。針葉樹は杉、ヒノキ、松などで、日本の建築に欠かすことのできない木材です。一方、楢、栗、桜、胡桃などの広葉樹(落葉樹)は長い間雑木と呼ばれ、針葉樹の一段下に扱われてきましたが、その硬く均質な材質が家具什器類に向いているため、洋風化にともない、現在は広葉樹の人気の方が高まっています。
 日本は戦後復興の頃、建築資材の需要に応えるため、それまで豊富にあった雑木の自然林を伐採し、代わりに杉や唐松を植林するという、拡大造林の施策がなされました。そのため山の4割をこれらの樹種が占めるようになりましたが、皮肉なことに、その後安い輸入木材が入るようになり、日本の木の価格は大きく下落、そのため山の管理コストが賄えなくなって、日本の林業は衰退していったのでした。
 そして現在の日本の木材資源は、針葉樹が余り、広葉樹は枯渇しています。そのため「山に使える木がたくさんあるから、その使い道を考えよう」という努力がさまざまにおこなわれているわけですが、泥縄的発想には自ずから限界もあり、それに変わる新たなアプローチが求められていました。
 そうしたなか、広葉樹中心の木工の世界にあって、あえて針葉樹を素材に選び、そこに新たな木工の世界を開こうとする作家が誕生しています。彼らはただ新しさを追い求めるのではなく、日本人と木の長い関わりや、工芸の伝統から学びます。そして針葉樹の真っ直ぐに通った木目の美しさや、削りたての白木の肌の清浄さには、広葉樹にはない、日本人の心の深層に働きかける、特別な美しさがあると再発見し、そうしたなかから、いまの暮らしに結びつくかたちを探していきます。また、古道具の世界において「美しいもの」を考え続けてきた坂田和實氏は、「貧しい材料で、実用の為に作られたという、今の私達から見れば一種の不自由さが、この杉の家具の美しさを作り上げている」と、柔らかな杉材がもつ魅力を、ずっと以前から評価し、紹介してきた人です。
 小さな展観ですが、こうした新たな針葉樹への眼差しが、木工の可能性を開くきっかけになればと思い、企画させていただきました。